ロコ・ソラーレ吉田知那美の現在は?2026年退団の真相とプロ転向を徹底解説
女子カーリング界を代表する選手の一人、吉田知那美さんに大きな転機が訪れた。2014年から12年間所属したロコ・ソラーレを2026年3月末に退団し、4月からはカーリング初のプロリーグ「ロックリーグ」に参戦。アジア太平洋地域のチーム「TYPHOON CURLING CLUB」で主将を務め、プロカーラーとして新たなキャリアを歩み始めた。
退団の背景には、単なる競技環境の変更だけではなく、五輪を目指す生活への向き合い方、家族と過ごす時間、そしてカーリングの魅力をより広く伝えたいという思いがあった。さらに2026年10月には、テレビ朝日アスクのアナウンススクールで学んでいたことも報じられ、競技以外の活動にも注目が集まっている。五輪3大会連続出場、平昌五輪銅メダル、北京五輪銀メダルという実績を持つ吉田さんは、今どこへ向かっているのか。公式発表と本人のインタビューをもとに、現在の活動から退団の真相、今後の展望まで整理する。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 退団の時期:2026年3月31日付でロコ・ソラーレを退団。12年間のチーム活動に区切りをつけた。
- 現在の活動:2026年4月にプロリーグ「ロックリーグ」へ参戦。スポーツビズと専属マネジメント契約を結び、プロカーラーとして活動している。
- 退団の背景:競技者としての役割の変化、家族との時間、カーリングの新しい可能性など、複数の理由が重なった決断だった。
- 新たな展開:2026年10月にはテレビ朝日アスクでの学びが明らかになり、カーリング解説や競技普及への取り組みも注目されている。
【2026年最新】吉田知那美は現在何をしている?ロコ退団後の活動
2026年10月24日現在、吉田知那美さんはロコ・ソラーレを離れ、プロカーラーとして競技活動を続けている。退団発表後に引退を表明したわけではなく、所属チームと競技人生を切り分け、新しい環境でカーリングに取り組む道を選んだ。
転機となったのは、2026年3月31日。ロコ・ソラーレの公式サイトは、2014年から12年間にわたりチームに貢献した吉田さんの退団を発表した。代表理事の本橋麻里さんは、日本一や世界選手権、五輪メダル獲得への貢献に感謝を示し、本人の決断と今後の活躍を応援する意向を表明している。
吉田さん自身も、チームへの感謝とともに、新しい環境へ進む決意を伝えた。最後の挨拶では、藤沢五月さん、鈴木夕湖さん、妹の吉田夕梨花さんへの思いをつづり、「50歳での再集結」にも触れている。長年ともに戦った仲間との関係を断ち切るというより、それぞれが自分の人生を歩むための節目として退団を位置づけていたことがうかがえる。
その後、4月3日にはスポーツビズが吉田さんとの専属マネジメント契約を発表。同社はメディア出演やイベント出演などの窓口を担う。競技だけでなく、カーリングの魅力を社会へ伝える仕事も含めて活動を広げていく体制が整った。
また、日刊スポーツの2026年5月のインタビューでは、吉田さんは今後、再び五輪を目指す考えはないと説明している。これはカーリングからの引退を意味するものではない。五輪出場を目標とする競技生活には区切りをつけながら、プロリーグでプレーし、競技の魅力を伝える道を選んだということだ。
2026年10月には、本人のYouTubeチャンネルでの発信をもとに、テレビ朝日が創設したアナウンススクール「テレビ朝日アスク」に通っていたことも報じられた。現在の吉田さんを理解するうえでは、プロカーラーとしての活動に加え、解説や情報発信への取り組みも見逃せない。

【退団の真相】吉田知那美がロコ・ソラーレを離れた3つの背景
吉田知那美さんの退団について、まず押さえておきたいのは、2025年の五輪代表争いに敗れた直後に初めて退団を決めたわけではないという点だ。本人が2026年5月にNumber Webなどのインタビューで明かした経緯によると、決断はそれ以前から考えられていた。
1.選手としての役割とカーリングへの貢献を考え直した
吉田さんは、アスリートとして活動する以上、いつか競技生活に区切りをつける時期が来ると考えていた。本人の説明では、選手として強くなることが日本のカーリング界に最も貢献できるのであれば、競技を続けたいという考えが判断の基準になっていたという。
一方、若い選手たちが台頭するにつれ、自分が選手としてプレーし続けることが、カーリング界にとって最大の貢献であり続けるのかを考えるようになった。競技を続けることだけが貢献ではない。指導者、解説者、運営に携わる人など、競技を支える役割は多様だという認識が、次の道を考える土台になった。
2.家族との時間を大切にしたいという思い
二つ目の背景は、競技以外の人生に目を向けるようになったことだ。吉田さんは2022年7月に、元アルペンスキー日本代表の河野恭介さんと結婚している。結婚当初は、結婚によってカーリング人生や生活のスタイルを変えるつもりはなかったと振り返っているが、時間の経過とともに考え方が変化していった。
カーリング選手は、海外遠征や海外を拠点とする長期の活動によって、家族と離れて過ごす期間が長くなりやすい。吉田さんも、次の五輪サイクルを考えるなかで、家族と過ごす時間の優先順位を上げたいという思いが生まれたと語っている。
さらに、2024年11月には父親が亡くなった。吉田さんは当時、海外遠征中で、父親の最期に立ち会えなかった経験について、後悔が残ったことをインタビューで明かしている。競技を続けるための選択と、大切な家族のそばにいるための選択。そのどちらを選んでも後悔し得る状況を経験したことが、人生の時間の使い方を考え直すきっかけになった。
この出来事だけが退団の理由だったわけではない。本人の説明では、以前から考えていた競技人生の区切りと、家族への思いなどが重なり、退団という選択が自然に固まっていった。
3.新しいプロリーグで世界の選手と戦う可能性
もう一つの大きな要素が、ロックリーグへの参戦だ。吉田さんは、固定されたメンバーで長期間活動する従来のチームとは異なる仕組みに魅力を感じたと説明している。世界各国の選手が集まり、プロリーグの期間に集中してプレーできる環境は、競技と個人の人生を両立させる選択肢にもなり得る。
吉田さんが退団を考え始めたのは2024年。本人のインタビューによれば、チームメートには2025年5月ごろ、ミラノ・コルティナ五輪を目指すサイクルが終わったら退団したいと伝えていた。つまり、2025年9月の日本代表決定戦で敗れたことが、退団を突然決定づけたわけではない。
2026年3月のロコ・ソラーレ退団は、競技力の問題やチームとの対立が公式に発表された結果ではなく、本人が以前から考えてきた人生設計と、新たな競技環境への挑戦が重なった決断として理解するのが適切だ。
【12年間の軌跡】北海道銀行からソチ・平昌・北京五輪へ
吉田知那美さんのキャリアは、ロコ・ソラーレに加入した2014年から始まったわけではない。北海道北見市常呂町で育ち、中学生のころから全国の舞台で実力を示し、海外経験を経て日本代表へと成長してきた。五輪3大会連続出場と2大会連続のメダル獲得は、その積み重ねの先にある。
スポーツビズの公式プロフィールや日本オリンピック委員会(JOC)の競技記録、各大会の報道をもとに、主な節目を整理する。
| 時期 | 出来事・所属 | 主な実績・意味 |
|---|---|---|
| 2006年 | 常呂中学校のチームで日本選手権に出場 | 中学生ながらチーム青森を破り、注目を集める |
| 2010年 | 網走南ケ丘高校を卒業、カナダへ留学 | 語学とカーリングの技術を学ぶ |
| 2011年 | 北海道銀行フォルティウスに加入 | 実業団チームで競技力を高める |
| 2014年 | ソチ五輪に出場後、ロコ・ソラーレへ加入 | ソチ五輪5位。6月に地元を拠点とするチームへ移籍 |
| 2016年 | ロコ・ソラーレで世界選手権に出場 | 世界選手権銀メダルを獲得 |
| 2018年 | 平昌五輪 | 女子日本代表として銅メダルを獲得 |
| 2022年 | 北京五輪 | 女子日本代表として銀メダルを獲得。同年7月に河野恭介さんと結婚 |
| 2026年3月 | ロコ・ソラーレを退団 | 12年間のチーム活動に区切りをつける。世界選手権は4位で、個人賞も受賞 |
| 2026年4月以降 | プロカーラーとして活動 | ロックリーグのTYPHOON CURLING CLUBで主将を務める |
中学生時代から全国へ、北海道銀行でソチ五輪に出場
吉田さんは小学2年生からカーリングを始めた。常呂中学校時代には「ROBINS」を結成し、2006年の日本選手権でトリノ五輪代表のチーム青森を破るなど、若い選手たちの活躍が注目された。
高校卒業後はカナダ・バンクーバーに留学し、語学と本場の技術を習得。2011年には北海道銀行フォルティウスに加入し、2014年のソチ五輪に出場した。ソチ大会では5位入賞を果たしている。
その後、同年にロコ・ソラーレへ加入。ここから吉田さんは、藤沢五月さん、鈴木夕湖さん、吉田夕梨花さんらとともにチームの中核を担う選手へ成長していった。
平昌の銅、北京の銀。ロコ・ソラーレの黄金期を支えた
ロコ・ソラーレでの大きな転機は、2018年の平昌五輪だった。女子日本代表は銅メダルを獲得し、日本カーリング界にとって歴史的な成果を挙げた。吉田さんはサードとしてショットを担うだけでなく、チームの雰囲気づくりやコミュニケーションの面でも存在感を示した。
2022年の北京五輪では、決勝に進出して銀メダルを獲得。平昌に続くメダル獲得によって、吉田さんはソチ、平昌、北京と冬季五輪3大会連続出場を果たした選手となった。
2025年のミラノ・コルティナ五輪日本代表決定戦では、ロコ・ソラーレは代表権を獲得できなかった。しかし、吉田さんはその結果を受けて競技人生を終えたわけではない。2026年3月の世界選手権までチームの一員として戦い、最後の大会を終えてから新たな環境へ移行した。

【プロカーラー転向】ロックリーグとTYPHOON CURLING CLUBでの挑戦
吉田知那美さんの退団後の活動を理解するうえで欠かせないのが、2026年に始動したロックリーグだ。ロックリーグは、世界各国のトップ選手が集まるカーリング初のプロリーグとして設立された。従来のカーリングチームとは異なり、男女の選手を組み合わせたフランチャイズ方式を採用している。
リーグ公式サイトによると、2026年4月の初年度大会には6チームが参加。各チームは女性5人、男性5人の計10人で構成され、男子フォー、女子フォー、ミックスダブルスなどの競技形式で対戦した。大会は4月6日から12日までカナダ・トロントで開催され、初代王者はシールド・カーリング・クラブとなった。
吉田さんが所属するのは、アジア太平洋地域の「TYPHOON CURLING CLUB」。公式ロスターでは吉田さんが主将に登録され、スウェーデンのアンナ・ハッセルボリ選手や韓国のキム・ミンジ選手ら、各国の実力者とチームを組んでいる。
これは、単に所属先を変更したという話ではない。日本の固定メンバーで戦うチーム競技から、国籍や競技歴の異なるトップ選手を束ねる国際的な舞台へと、役割そのものが変わったことを意味する。主将として求められるのはショットの精度だけではなく、異なる言語や文化を持つ選手たちの強みを引き出し、短い期間でチームを機能させる力でもある。
スポーツビズとの専属マネジメント契約で活動の幅を広げる
2026年4月3日、スポーツビズは吉田さんとの専属マネジメント契約を発表した。同社の公式発表では、今後のメディア出演やイベント出演などの窓口を担うとしている。
この契約は、プロ選手としての活動を支えると同時に、競技外での発信やカーリングの普及活動を進める基盤にもなる。吉田さん自身も、競技力の向上だけでなく、カーリングというスポーツの可能性や楽しさをより多くの人に届けたいという意向を示している。
ロックリーグの第2シーズンは、リーグ公式FAQで2027年1月から4月にかけて開催予定と案内されている。2026年10月時点では、次のシーズンの詳細な日程やロスターの更新を公式発表で確認することが、今後の出場予定を把握するうえで重要になる。
【五輪メダルだけではない】フランシス・ブロディ賞が示した吉田知那美の評価
吉田知那美さんの競技実績は、五輪の銅メダルや銀メダルだけではない。2026年3月にカナダで開催された世界女子カーリング選手権では、ロコ・ソラーレが4位となるなか、吉田さんがフランシス・ブロディ賞を受賞した。
世界カーリング連盟(World Curling)の公式説明によると、この賞は大会に参加した選手たちの投票で選ばれる。技術、誠実さ、フェアプレー、友情、スポーツマンシップといった、カーリングが大切にしてきた価値を最も体現した選手に贈られる賞だ。
つまり、フランシス・ブロディ賞は大会の順位や得点だけでは測れない側面を評価するものだ。世界選手権で優勝したかどうかだけでなく、競技者としてどのような姿勢でプレーし、周囲と接してきたかが評価の対象になる。
吉田さんは、ロコ・ソラーレの明るい雰囲気を支える存在として知られてきた。チームの公式発表でも、本橋麻里代表理事は「カーリングは楽しい!」を体現し続けたことへの感謝を示している。フランシス・ブロディ賞の受賞は、そうした姿勢がチーム内にとどまらず、世界の選手たちからも認められていたことを示す成果といえる。
また、2026年の世界選手権は、吉田さんにとってロコ・ソラーレでの最後の大会となった。チームとしては4位に終わったものの、個人賞を手にして新しい道へ進んだことは、12年間の活動を振り返るうえで象徴的な節目となった。

【結婚相手は河野恭介】テレビ朝日アスクで学んだ理由と今後の活動
吉田知那美さんの結婚相手は、元アルペンスキー日本代表の河野恭介さんだ。2人は2022年7月に結婚した。河野さんは競技者としての経験を持ち、指導者としても活動してきた人物で、吉田さんが競技人生や今後の生活について考えるうえでも、アスリートの引退や人生設計を理解し合える存在となっている。
吉田さんは2026年5月の日刊スポーツのインタビューで、五輪を再び目指す考えはないと明言した。その一方で、カーリング選手としての活動そのものを終えるわけではなく、家族との時間を大切にしながら、プロリーグでプレーし、競技の普及にも取り組む意向を示している。
ここで注目されるのが、2026年10月に明らかになったテレビ朝日アスクでの学びだ。ORICON NEWSや日刊スポーツの報道によると、吉田さんは2026年夏に東京へ移り、テレビ朝日が創設したアナウンススクール「テレビ朝日アスク」のナレーション基礎科で約3か月間学んでいた。本人のYouTubeチャンネルで、スクールに通っていたことを明かしている。
通学の目的は、カーリングの解説に必要な話し方や言葉の使い方を学ぶことだったという。吉田さんは、生放送の解説では言葉の選び方一つで選手を傷つける可能性があると説明し、声の使い方や原稿の読み方、場面に応じた声のトーンなどを学んだと語っている。
2026年2月のミラノ・コルティナ五輪では、吉田さんは解説を担当していた。競技者として世界の舞台を経験したからこそ伝えられることがある一方、解説者には選手とは異なる責任がある。テレビ朝日アスクでの学びは、その役割をより丁寧に担うための準備と見ることができる。
ただし、アナウンススクールに通ったことが、アナウンサーへの転職を意味するわけではない。本人が説明している目的は、カーリング解説に向けた話し方や伝え方の習得だ。現段階では、プロカーラーとしての競技活動を軸に、解説や情報発信、競技普及へと仕事の幅を広げていると捉えるのが自然だろう。
【ロコ・ソラーレ吉田知那美】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:吉田知那美は2026年にロコ・ソラーレを退団したのですか? A1:はい。ロコ・ソラーレは2026年3月31日、吉田さんが3月末をもって退団すると公式発表しました。2014年から12年間にわたって所属したチームを離れ、プロカーラーとして新しい環境へ進みました。
Q2:吉田知那美の退団理由は、五輪代表争いに敗れたことですか? A2:それだけが理由ではありません。本人は2026年のインタビューで、退団を以前から考えていたことを明かしています。選手としての役割の変化、家族との時間、新しいプロリーグへの関心など、複数の要因が重なった決断でした。退団の意向は、2025年の五輪代表決定戦より前にチームへ伝えていたと報じられています。
Q3:吉田知那美はカーリングを引退したのですか? A3:いいえ。ロコ・ソラーレを退団した後も競技を続けています。2026年4月にはプロリーグ「ロックリーグ」に参戦し、TYPHOON CURLING CLUBの主将を務めました。本人は五輪を再び目指す考えはないと語っていますが、プロカーラーとしての活動は継続しています。
Q4:吉田知那美の結婚相手は誰ですか? A4:2022年7月に結婚した河野恭介さんです。河野さんは元アルペンスキー日本代表で、指導者としても活動してきました。吉田さんはインタビューで、家族と過ごす時間を今後の人生でより大切にしたいという思いを語っています。
Q5:吉田知那美は今後、アナウンサーになるのですか? A5:2026年10月に報じられたテレビ朝日アスクでの受講は、カーリング解説に向けた話し方や言葉の使い方を学ぶことが目的です。アナウンサーへの転職を発表したわけではありません。今後はプロカーラーとしての活動に加え、解説や競技普及など、競技の魅力を伝える仕事にも注目が集まります。
まとめ:吉田知那美の現在と今後を見極めるポイント
吉田知那美さんの2026年は、ロコ・ソラーレでの12年間に区切りをつけ、プロカーラーとして新たな一歩を踏み出した年となった。ソチ、平昌、北京と3大会連続で五輪に出場し、平昌では銅メダル、北京では銀メダルを獲得。さらに2026年の世界選手権では、選手たちの投票によるフランシス・ブロディ賞を受賞した。
退団の背景には、選手としての役割を考え直したこと、家族との時間を大切にしたいという思い、そして国際的なプロリーグへの挑戦があった。五輪代表決定戦の敗退をきっかけに突然退団したという見方よりも、以前から考えていた人生設計を実行に移したと捉えるほうが、本人の説明に沿っている。
今後の動向を追う際には、ロックリーグの公式発表で次シーズンの開催日程や選手登録を確認すること、スポーツビズの発表でメディア・イベント活動を把握すること、そして本人のインタビューやYouTubeで競技への考え方を確かめることが重要だ。
また、チーム退団と競技引退、五輪を目指さないこととカーリングを辞めることは、それぞれ意味が異なる。吉田さんは競技人生を終えたのではなく、その形を変えた。プロリーグでの挑戦、解説者としての成長、カーリング文化の普及という複数の役割を通じて、これまで培った経験を新しい形で生かしていく姿が、今後の大きな見どころとなる。 (出典: ロコソラーレ 吉田 知 那 美(Yahoo!ニュース))